2015/08/28

これが、“PEOPLE'S TALKSHOW” だ!(1)-まずはインディーの理念からD.I.Y.の起源の話-


やけのはらさん(以下、やけさん)から「トーク・イベントをやりたいです。テーマも決めてあります」と伝えられたのは、たしか今年の2月か3月だったと思う。ボクに断る理由はないので、「もちろんやりましょう!」と応えたところで動き出したのが、今日から公開がはじまる“PEOPLE'S TALKSHOW”である。やけさんが決めていたテーマは“インディー(インディペンデント)”。トーカーとして参加してくれるのは、やけさん、VIDEOTAPEMUSICさん、beipanaさんとすんなり決まった。開催日は2015年6月7日、日曜日。会場はPEOPLE BOOKSTOREだ。

当初予定していたミニライブが出来なくなったり、当日配布するレジュメやCDRを制作するなかでボク植田を含めた4人でやり取りを重ねて、トーク・イベントその日を迎えた。このメンバーで話が出来るなら、そりゃ当然面白くなるだろうと思っていたけれど、果たしてその予想をかるく超える熱のある時間になった。後半からは、聞き手として遊びにきていた、ライターの北沢夏音さん(当店の守護天使!)を加えての約2時間半。みんなの話を聞き、自分も話しながら、ボクは興奮していた。最後の最後には、おどろくほどに気持ちが高ぶっていた。ちらちらと確認していたお客さんも良い顔をしていて、きっとボクと同じような気持ちなのだろうと想像出来て、嬉しくなった。


あの日の話をようやく、ここで公開出来る! 文字起こしに尽力したPEOPLE BOOKSTOREの中村に感謝を! 本当にありがとう!

長い記事になるけれど、最後まで楽しんでほしい。そして、あなたの心に火が灯れば、それにまさる喜びはない。

***

やけのはら(以下や):はじめますかね。トークイベントということで、みんなで喋ろうかと思います。僕、やけのはらと言います!よろしくお願いします。

VIDEOTAPEMUSIC(以下V):VIDEOTAPEMUSICです。よろしくお願いします。 

beipana(以下b):beipanaです。

植田(以下植):植田です。よろしくお願いします。

:一応説明させてもらいますと、僕は音楽を作ったりしてます! ビデオ君、あなたはどういうことをしている人なんですか? 

V:映像と音楽を作ってて、自分ではCD作品を出しているんですけど、色んなミュージシャンのミュージック・ビデオ、VJなどもやっています。 

:ベーパナさんもミュージシャンということで、僕たちは基本的に音楽に関わっているので、音楽の話が多くなるかもしれないんですけど、今日のテーマはなんでしたっけ? 

一同:インディペンデント!

:そうですね。まあ、一応お題があるといいかなということでインディペンデントなんですけど、インディペンデントってなんですか? “独立”ということですよね。“独立している”。“独立している”ということは どういうことなんですかね。独立独歩......。 

b:“自分でやっている”ということですよね。 

:ほかと切り離されていると。 

V:独りで立っている。 

や:今言ったようなことを、音楽の話に置き換えますとですね、音楽をCDで出したり、レコードで出したりするときは、自分で出す人もいれば、どっかの会社や組織、メジャー・レーベルから出す人もいるし。今日配布した資料(※1)にも書いたことですけど、メジャー・レーベルとよく言われるものには、決まりというか一応の基準があるみたいですよね。欧米ではBIG4と呼ばれる4大企業「ユニバーサル」「ソニー」「ワーナー」「EMI」。 当時の大きい電気系の会社の 中のレコード販売部門だったところが、メジャー・レーベルと呼ばれていたと。 で、それ以外のものが、基本的にインディー。

V:レコードプレイヤーを売るために大手の電気会社が作ったレコード・ソフト部門、それがいわゆるメジャー・レーベルと言われるものの起源なわけですよね。 

:徐々にそこがキーワードにもなるんですけど、テクノロジーの進歩ともインディーとメジャーというものは関わっていてですね、昔はレコードを録音する、そしてそれを販売するというのは大変だったわけですよ。今は、音楽も自宅で作れるんですけど、何十年も前だと、それはなかなか容易に出来なかった。すごい設備もいるし、コストもかかる。だからどうしても、そういうことをやるには大きなお金やノウハウがあったりするメジャーと呼ばれるところから、みんな契約して出していたと。だけど、テクノロジーも時代も変わってきて、インディーにやっと辿り着くわけですよ。そういう大きな会社に所属しなくても、 自分で音楽を作ったり、それを世に発表したりすることが出来るような時代になりだした。 

V:機材が安く手に入ったり、技術が色んな人をもとに降りてきたりして。インディー時代の始まりですよ。

:ここからが今日の僕たちの本題ですよ、今までのは説明です。まず、インディーは好きですか?

V:好きですね。 

:好き? 結構好き?

V:はい。

:ちょっと訊きたいんですけど、多分今日ここに来てくれた方ってのは、このお店のことを知っていたり、僕たちの誰かのことを知っていたり、音楽が好きだったり、インディーという言葉を聞いたことがあったりすると思うんですけど、音楽を聴く立場って、買うときって別にメジャーだったりインディーだったり思わないですよね? 思いますか? 好きかどうかですよね。そうなんですけど、そういうクオリティで出来るってのも、インディーの人は色々頑張っているんですよ。なかなか大変なことを。インディーの良さもあるけど、大変さもあるし。今日は色々みんなでインディーってことはどういうことかってことを、考えられたらと思います。この〈PEOPLE BOOKSTORE〉っていうお店もTSUTAYAとかとは違う、独立系の、インディーのお店なんですよね。で、こういうお店の良さだったり、今日は植田さんがもちろんいるので、そういう“インディー・ショップ”の面白さだったりもね、聞き明かしていきたいところです。インディー・ショップですよね、ここは。 

:そうですね、はい。

:なにか考えとかあれば、聞かせてもらってもいいですか? 

:僕の意思がモロに出ちゃっても良いんじゃないかと思うんですよね。今の日本の、チェーン店や大きな流通の会社だったり、お店だったりは基本的に個人の意思が極力出ないように、会社としての意思を全体に出すように、個人の意思は抑えてという状態があるとしたら、このお店をやっている意味は僕の趣味思考が思いっきり出せることというか。まあ、それでスベったら、 それはそれまでです。というようなことは、面白いかなと思ってやってます。 

:いまさら訊くんですけど、植田さんはここのお店を始める前は、ほかの本屋さんで働いたりとかはあったんですか? 

:一切ないですね。 

:そうなんですか! へぇー。本が好きだった人?

:本は、好きです。でも、僕より好きな人はもっといっぱいいると思います。 

:本が好きな若者で、書店勤務経験もなかったですけど、ここを始めたんですか? 

:そうです。 

:ほかの古本屋さんや本屋さんで働かれてたんだと思ってました。 

:僕はCD屋に長くいたんですよ。音楽業界の方がどっちかっていうと経験はあったんですけど、こういう古本屋、本屋に関しては修行というかアルバイト経験もゼロです。 

:じゃあ、結構大変ですね。始めたときって細かいノウハウもわからないし。 

:今だってわかっているとは正直言えないっていう、大きな声で言っちゃいけないかもしれないですけど。今でも試行錯誤ですね。本の買取が増えてきてるんですけど、査定して、値段付けて、買い取っていて、厳密に、もしかしたら、 大きなルールがあるのだとしたら、そこに乗っ取っているのかどうかは、僕は......。 

:そういうルールってあるんですか? BOOK-OFFとかだったら基準とか決まりとかあるんでしょうけど。 

:今、僕がやってるのは、昔なにかのネットか本で見た有名な古本屋さんが言っていたのを、ああ、そうなんだと真に受けてやって、そっからまあ、だんだんと査定の回数が増えるごとに自分なりの値段の付け方がわかってきたというか、最初の頃はAmazonとかで検索しちゃって、相場を見ちゃうんですよ。そうすると、自分の根本的なエネルギーがどんどんしおれていくというか、これ、オレがやんなくてもいいんじゃないかって。 

:なんかいい話ですね!

:そういうのに直面して、だったらこれもういいや、高いと言われようが安いと言われようが、オレが値段を付けてしまえ! と。例えば、ネットで見れば1500円で買えるのを2800円付けてドーンといっちゃえみたいな。でも、そういう本も買ってくれる人がいるんですよね。あ、これちょっと高く付けちゃったけどいいすかなんて言っちゃったりするんですけど、良いんですって言ってくれるから、あ、嬉しいな、と。 

V:そういう人は、そのもの自体を、値段じゃなくて、このお店から買うということや、その日出会ったということも含めて買ってる。 

:でも、セレクトショップってまあそういうことですよね。そこで見付けた本を今度BOOK-OFFで安く探そうとかいう世知辛いことを不況だと思う人もいるのかもしれないけど、そうじゃなく思ってくれる人が来てくれたり、買ってくれたりするってことですよね。勝手に植田さんの気持ちを代弁すると、そういう風に物事や、本屋さんだけじゃなくてもいいですし、直接的な値段じゃなくて、付属する「選ばれセレクトされて並んでいる」っていうことの対価だったり、 そういうとこの意味をわかってほしいと本当なら思っているんじゃないのかなあ、と僕は思ってみたんですけど。 

:そうですね。でも、セレクトはもはや出来ないというか、僕の知識もそうだし、自分一人では処理出来ない量の本が入ってくるようになってきて、その中からもちろん僕が面白そうだなって本はピックアップしていくからアレなんですけど。話が変わってきちゃうかもしれないけど、僕の、植田浩平の、趣味嗜好はもちろん入っているんですけど、それよりも、もっとこう、自然に本に出会ってもらえる場を、そっと後押しするくらいの感じに変化してきているのかもしれませんね。 

:面白い話ですね、容れもの的な感じですか。セレクトで自己の趣味嗜好を表現するというよりは、植田を通して......。 

:そうですね、PEOPLEを通してですね。 

:出会いだったり、色々なきっかけになれば、と。 

:きっかけの一つになったら、なれたらいいなあと思って。 

:今、僕がお話を聞いてて興味深かったのは、おおまかに全部、いま言ってたようなことって、インディーの理念みたいなことだと思うんですけど。それで、僕たちが音楽を作るとするじゃないですか。そうすると、それが良くも悪くもということもあると思うんですけど......、例えばすごい極端なものだったりしても「これが僕の音楽です」ってことに一応なるじゃないですか。でも、お店で、直接的にその古本を売るとかの方が、もうちょっと買う人がいてなんぼというか。そういうところがちょっと違いそうですよね。もうちょっと、 なんというか、買う人がいるのが前提というか。 

:そうなんですよね。そこが未だに僕も明確な答えが出せないっていうか。僕が読みたいかどうかは、もはや関係無いんですけどね。 

:じゃあ、全然好きじゃないって本は並べるんですか? 

:それこそ100円均一棚に出すとか、そんな感じに。 

:あれ! そんなこと言っていいんですか(笑)? 100円のコーナーにあるのは評価しない本ってことですか? 俗本ですか!

:話すたびにボロが出ている気がして......、なんか汗が......。駄本じゃなくてですね、色んなところで買える本というか。 

:あ、そうですね。意地悪なツッコミをしてスミマセン! それ的確です。ほかでもある本は100円コーナーに。 

:そう。あと、これ100円で買えたら嬉しいよねって本がちょこちょこあったりとか。

V:100円だから出会いやすくなるというか。 

:そうそう。中島らもさんの文庫本とか100円で買えてなんぼというか。もちろん高く付けてもいいんですけど。なんか、それくらいの良い意味での雑多な本というか。 

:しょっぱなから、すごくインディー理念的な話をしゃべっていただいたと思うんですけど、そういう、大きな枠やシステムや決められた「こういうのじゃないといけない」ってことじゃなく、自分なりのやり方や形で出来るっていうのが、とりあえずはインディーの面白さだったり良さだったりするんじゃないですかね。 

b:そうですね。あと、メジャーの定義の話もしたんですけど、世界的にインディーの定義っていうのもあってですね。配布資料の文章とも近いんですけど、 基本的には、マスなセールスでの成功を目指すのではなく、実験的なことをしたり芸術的な自由度の高いものを出して、小規模でも熱狂的なファンに受け入れてもらうというのがインディー・レーベルであるっていうのが一応定義としてありますね。 

:そうですね。もちろん音楽を売るってことは商売なので、そういうところと、 もちろん創作や表現っていう側面もあったりして。表現ってのは別に100人に好かれる表現が、100人の内1人にしか好かれない表現より一概に良いと言えるわけじゃないってところが面白さでもあるわけですし、でもそう言ってると商売は成り立たないと。そういうところのバランスの中で、インディー・レーベルってのが、たくさんの人に聴かれて、ものすごくいっぱい売れるもんじゃない創作をしている人の受け皿になっているってことがこの資料の1ページ目に書いていることなんですけどね。ただ、個人的に思うのは、規模感は関係ないのかなってのは思っていて。モータウン(Motown Records)とかもあるし(※2)。だから結局、独立独歩ってところが大事っていうか。 

V:有名どころですけど、モータウンっていうのもインディー・レーベルだったわけですよね。 

:そうですね。だからなんて言うのかなあ、大きいのを目指すとか、商品としてたくさん稼ぐってことが第一じゃないにしろ、例えばモータウンみたいなやり方のインディーってのもあったし。 

b:この3人で事前に話し合ったときに、インディーにも2種類あるねって話になって、僕がさっき言った定義みたいなのもあれば、自分で始めるしかないって環境から始まったもの。つまりマイノリティですね。黒人とかそういうことですね。 

:モータウンのときは、まだ黒人の差別とかもあったり、黒人のミュージシャンが才能があったとしても日の目を浴びる機会が少なかったから。モータウンってのは、アメリカや世界に黒人の音楽を発表したくて作ったんですよね。 

b:もともとそれは、実験性とか規模が小さくても良いとかじゃなくて。 

V:社会的な事情でインディーズじゃなきゃ出来ないことが当時あったってことですね。 

:資料にメモしたレーベルでも、そういうのは多いですよね、そういう意味では。このフライング・ダッチマン・レコード(Flying Dutchman Records)(※3)ってのもロニー・リストン・スミスとかギル・スコット・ヘロン という詩人の方とかがジャズのレーベルって言っていいんですかね、すごくこう、ギル・スコット・ヘロンさんがフライング・ダッチマンから出しているレコードとかもビートニクというか、本当に、パーカッションの上にこう、政治的なメッセージとかをしゃべっているっていう。あんまり、エンターテイメントな音楽じゃ全然ないっていう。あとは、パンクのインディー・レーベルとかも、大人がやらないなら、自分たちでやろうっていうか。まあ、あと、例えば、モータウンのときにそういう美学というか精神があったかわからないですけど、パンクの時代になると、自分や自分たちの友達や、住んでる場所でもいいですし、その身の回りのことを自分たちでやるのがかっこいいんだというか良いんだっていう。 

V:表現がメジャーかマイナーかっていうよりは、そういう経済のシステムとして自分達で作って自分達で回すっていう。 

:美学というかね。D.I.Y.ですね。 

b:DO IT YOURSELF。 

:自分のことを自分でやれ、と。かっこいいですね。そういう美学とD.I.Y.っていうのはいつぐらいからそういう観念って出てきたんですかね。 

V:パンクですよね。 

:僕らは音楽が好きだからパンクと結び付くけど、ジョイフル本田とか、日曜大工と結びついている人の方が多分、現状では多いんじゃないのかなと思いますよ。 

b:東急ハンズにも書いてありますもんね。そうではない精神性としてのD.I.Y.。 例えば、FANZINE(※4)はただ本屋さんで売るんじゃなくて、自分たちで全部印刷して中身も書くという、精神としてのD.I.Y.ということですよね。 

:で、さっきベーパナさんがインディーにも2種類あるって言ってた後者の方。 自分でやるしかないからやるっていう。誰に頼まれたわけでもなく、自発的に。自分の中から溢れてしまうものを形にすることは、そうするしかなかったっていうことなんですかね。FANZINEとか手書きで書いたりとか、コピーしたりとかっていう・・・。

:あのー、僕ね、急に学んでしまいましたよ! 今、インターネットで検索しただけなんですけど。しかも、調べたらね、これスゴイ面白い話! 第二次世界大戦でドイツ軍の激しい空襲を受けたロンドンで、戦後に破壊された街を自分たちの手で復興させる国民運動が1945年にイギリスで広まり、スローガンとして 「D.I.Y.=DO IT YOURSELF」が生まれた。へえーーですね! そうなんだ! 破壊された街を自分たちの手で復興させる! 素晴らしい話ですよ。『はだしのゲン』的な。 なんかDO IT YOURSELFって自分の手でやるって意味じゃないですか。だけど、この由来でいくと、持たざるものが、するんですね。 

植:いいキャッチコピーですね。 

:イギリスで始まった運動だから、パンクの人達には、直接的な由来とかに影響受けてどうとかはわかんないけど、なんか繋がりというか、D.I.Y.カルチャ ーってのはあったのかもしれないですね。いい話でしたね。自分たちでやらなきゃいけない人達が色々始めたケースもあるって話から。 

b:自分たちでメジャー同等の成功を目指すってのを自分たちでしか始められない人っていうのがモータウンとか、日本でいうとエクスタシー・レコード(※5)とか。 

:いろいろレーベルを調べたなかで、モータウン・レーベルってのは、みんな本当に音楽好きな人だったら聴いたことがない人がいないくらいすごく歴史に残るリリースをいっぱい残したんですけど、ファミリー企業として始まって10年でものすごく大きなレーベルになったって意味ではすごいんですけど、もうひとつ、日本のレーベルで気になったところで、エクスタシー・レコードがあって。で、ですね、一度 脱線するんですけど、あの、ちょっと前まで住んでた家の真向かいに駐車場があるんですよ。そこにね、デカイ機材車みたいなバンドワゴンがあって、なんか機材とかを積み降ろしたりしてるのをよく見たの。だから、近所にバンドマンが住んでるんだって思ってたのね。ある日、ウチの前を歩いていたら向かいのマンションのゴミ捨て場にチラシが大量に落ちてたのね。で、なんかさ、漁るでもないよ、見えるってかさ、それで繋がったの。多分あの機材車で積み降ろしをしているバンドマンのバンドだと思って、ちょっとスケベ心っていうか、一枚持って帰ってみて検索してみたの。今バンド名思い出せないけど、全然知らないバンドで。で、どんな感じなのかなと思って検索してみたらまあ、インディーズ・バンドで、ヴィジュアル系らしかったの。ライブ・スケジュール見たらAXとかでやってて、AXは東京のライブ・ハウスで2000人くらい入る、それなりに人気がある人じゃないと出来ないような場所で。それでびっくりして。つまり、なにが言いたいかというと、ヴィジュアル系のD.I.Y.は凄いってこ となんですよ! ジャンルが違うとはいえ、全然僕らが知らないようなバンドで もガンガン客入れてるっていうか。それで、そういうバンドが実は沢山いるみたいで。これは持論だからはっきりとした数字はわかんないけど、一番D.I.Y. というか、インディーとしてたくましく、力強く、そして物事を回して、みんなハッピーにやってるカルチャーは実はヴィジュアル系なんじゃないかと思って。 

b:そうですよね。で、そのルーツがエクスタシー・レコードという。 

:エクスタシー・レコードっていうのは、X JAPAN、元XのYOSHIKIさんが設立したレーベルで、これもなんかさっきの話と通じるというか同じで、当時Xをリリースしてくれるレーベルがなかったと。で、さらにかっこいいのは、そのリーダーのYOSHIKIさんが、プレス工場、印刷工場、出版社、写植工房、レコード 店などを直接訪ね歩き、レコード制作から販売ルートまでを一から学んでいったんだと。これ、すごいよね! 

b:それで、実家の呉服店を業務変更してレコード会社、まあレーベルを作ったと。これはすごいですよ。まあ その体育会系イズムと、黒人とでは事情は違いますけど、その成功してやるってマインドは。 

V:当時ヴィジュアル系はあんまり認められてなかったんですかね? 

:ヴィジュアル系ってまだ言われてなかったんじゃないかな? ヴィジュアル系って言葉も90年代以降だよね、確か。むしろ、ヴィジュアル系の色んなルートはエクスタシー・レコードから出来ているというか、開かれているというか。 

b:そうですよね。すごいですよね、このハングリー精神ゆえのインディーっていうの。それで結構日本で成功しているっていう。 

:でさ、自分も含め、ここにいるみんなは多分インディーが好きだからさ、インディーが良い良いばっかりの話になるのも嫌だなって最初思ってたの。インディーということを慎重に確かめたいなと。でさ、インディーの良くない面みたいなこともあるにはあるじゃん、きっと。 

b:内輪ノリとか。 

や:このエクスタシー・レコードでのYOSHIKIさんってのは、内輪ノリとは気合いがちがうというか。これだけのことを自分の足で......。 

b:やってるっていうのはすごいですね。それで、僕は学生の頃、LUNA SEA(※6)っ てバンドがすごく好きだったんですけど、たまたまラジオを聞いていたら SUGIZOっていうギターの人がラジオをやってて、かけてる曲がインストのヒップホップとかで。LUNA SEAもエクスタシー・レコードから出たバンドだったと。 

:だってLUNA SEAのSUGIZOさんは今のXのメンバーでしょ。 

b:で、LUNA SEAもやりつつ、JUNO REACTORっていうトランス・テクノの多国籍バンドのギターもやっていますね。LUNA SEAというバンドもインディー精神ってのがYOSHIKIさんから引き継がれていて。 

:僕はちょっとLUNA SEAに詳しくないからわからないので、教えてください、LUNA SEAのインディー精神を。 

b:メジャーデビューして色々あって解散して、2010年に復活したんですが、復活後に東京ドームでの無料ライブをしたという。 

:すごい! 無料ってことは全部持ち出しってこと? 

b:わからないですね。でも当然メジャーなんですけど、無料ライブをやって、尚かつインディー時代のLucacyという名義でインディー時代の曲をメインに演奏した。さらに黒服っていうですね、いわゆるヴィジュアル系の本当のはしりのドレス・ コードでしか入場させないという。 

:とんがってますね。 

b:そういう精神性が未だに気になっちゃう。 

:その無料ライブ、黒服ドレスコードってのは、俺たちはインディー精神を忘れてないぞっていう。 

b:実際にそう言っています。そういう精神も忘れてない。多分、ルーツとしては、YOSHIKIって人の影響が大きかったっていうか。大きな規模でもそういうことをやれる礎をつくったのはYOSHIKIって人の力なんじゃないかなと。 

:だからね、ほんとにね、僕なりの印象論になっちゃうんですけど、やっぱりエクスタシー・レコードだったり、YOSHIKIさんとかのヴィジュアル系ってのは、僕は音楽ジャンルとしては全然詳しくないんだけど、 そういう目線でちょっと調べたりすると、やっぱり本当にすごいと。サークル活動じゃなくて、 独立独歩でみんなハッピーになる。そういうことをちゃんとやれてるというか。 

(次回に続きます!)

(※1)
「今日配布した資料」「インディーズとは、ある業種においてメジャー(大手)に属さず、独立性の高いもののこと。 大手(メジャー)に対して中小のものをマイナーというが、その マイナーの中でもメジャーと資本関係や人的交流などを深く持たず、系列化さ れていない独立性の高いものを指す。日本の音楽業界におけるインディー(インディーズ)とは、日本レコード協会加盟のいわゆるメジャー・レーベルのレコー ド会社と対比する形で、同協会に一切加盟していない独立系レーベルのことをさす。音楽は基本的にはアート(芸術)の一分野であり、難解な音楽、実験的な音楽、ルーツ・ミュージックなどのニッチな音楽を志向するアーティストも数多く存在する。しかし、これらの音楽はその評価とは裏腹に商業的な成功には恵まれ無いことがほとんどであり、資本の最大化を主眼としているメジャーの音楽会社においては、当然ながらこれらの売れないアーティストがその傘下で音楽を作ることを許されるのは稀有な例となる。よって、これらのアーティスト はアンダーグラウンドにおいてインディー・レーベルに所属し、その創作活動を続ける場合が多い。これらの背景から、インディーは「メジャーへの踏み台」としてではなく、「ニッチな音楽を志向するアーティストが存在し得る場」として、一つの唯一的な地位を有している。」(当日配布した資料より引用/作成・やけのはら)

(※2)
「モータウン」 モータウン(Motown;Motown Records)とは、アメリカ・デトロイト発祥のレコードレーベル。自動車産業で知られるデトロイトの通称、「Motor town」の略。 1959年、ベリー・ゴーディ・ジュニアによって設立、ソウルミュージックやブラックミュージックを中心に据えて大成功した。1972年には本店をロサンゼル スに移転、1993年よりニューヨークに本店を構えている。2011年より現在はユニバーサル ミュージック グループの一部門、アイランド・デフ・ジャム・ミ ュージック・グループの傘下にある。1950年代からミュージシャンとして活動 していたベリー・ゴーディ・ジュニアがジャズのレコード店を開いたのが始まり。しかし店は不振により、閉店に追い込まれる。一時は負債の返済のため、 デトロイトのGMの組立ラインで働かざるを得なくなるが、それでも音楽に対する情熱を絶つことなく、自身で書いた曲をR&Bシンガーに売り込んで回る。その甲斐あって、R&Bシンガーのジャッキー・ウィルソンらに認められ、自身の曲が とり上げられるようになる。意を決したゴーディは「黒人向けのR&Bではなく、白人層にも自分たちの音楽の良さを理解して欲しい」という思いから、銀行から600ドルを借金し、モータウンレコードを設立する。1961年にゴーディ自らが発掘した、スモーキー・ロビンソン&ザ・ミラクルズの"ショップ・アラウンド ("Shop Around")"が全米チャートの上位に送り込まれたのを皮切りに、その後もダイアナ・ロスが在籍していたことで知られるシュープリームスなどにより、 次第にヒット曲を重ね、大型レーベルへと成長してゆく。 ファミリー企業のインディペンデント・レーベルを、10年で大企業にしたという意味で、ゴーディはアメリカン・ドリームの体現者である。しかも、黒人としてそれをやり遂げたことは当時として画期的だった。(当日配布した資料より引用/作成・やけのはら)

(※3)
「フライング・ダッチマン・レコード」 このレーベルから複数のアルバムを発表したミュージシャンには、歌手レオ ン・トーマス (Leon Thomas)、サキソフォン奏者ガトー・バルビエリ(Gato Barbieri)、編曲家オリバー・ネルソン(Oliver Nelson)、サキソフォン奏者ト ム・スコットや、ピアニストのロニー・リストン・スミスなどがいた。ギル・ スコット=ヘロン (Gil Scott-Heron)は、フライング・ダッチマンのレーベルから、デビュー・アルバム『Small Talk at 125th and Lenox』や 『Free Will』 を含む3枚のアルバムを出している。(当日配布した資料より引用/作成・やけのはら)

(※4)
「FANZINE」 〈fan〉と〈magazine〉が由来。同好の士が賃金を出し合い、自主的に制作・発行する、内容や体裁が自由な同人誌や冊子などの印刷物のこと。「“ファンジン”というのは、SFやコミックの文化圏から生まれた言葉」と、ばるぼら氏が『アイデア』367号での「日本のZINEについて知ってることすべて」のなかで語るように、パンク・カルチャー以前から存在している自主出版文化。現在ではそれを略して「ZINE」と呼ばれる。

(※5)
「エクスタシー・レコード」 株式会社エクスタシー・レコード (Extasy Records)は、日本のミュージシャンで あるYOSHIKIによって1986年に設立されたレコード会社およびインディーズレーベルである。1985年、インディーズで活動していたX(現在のX JAPAN)はレコードのリリースを目指していたが、レコード会社からのオファーがなかったため、自らレコードをリリースすることになった。レコードを発売するための知識が全く無かったリーダーのYOSHIKIは、レコードのプレス工場、印刷工場、出版社、写植工房、レコード店などを直接訪ね歩き、レコード制作から販売ルートまでを一から学んでいった。レコードの制作費用や売り上げの管理、税金の申告には会社組織が効率的であるとして、休眠状態となっていたYOSHIKIの実家の呉服会社を業務変更して1986年4月に「エクスタシー・レコード」が設立され た。同時にXの「オルガスム」をリリース。インディーズを扱うレコード店に直接電話で掛け合い、店に置いてもらった。また、レコードの宣伝広告に関しても、雑誌社や版下屋を直接訪ね歩いて掲載に漕ぎ着けた。(当日配布した資料より引用/作成・やけのはら)

(※6)
「LUNA SEA」 RYUICHI(Vo)、SUGIZO(Gu,Va)、INORAN(Gu)、J(Ba)、真矢(Dr,Pa)による日本のヴィジュアル系ロックバンド。1989年に現メンバーで結成し、1992年メジャーデビュー。2000年に終幕を宣言し活動を休止したが、2010年に活動再開。インディーズ時代は“狂気”という意味の「LUNACY」というバンド名だったが、一つの意味に縛られず、音楽的にも深く、広くという思いから「LUNA SEA(月と海)」に変更した。https://ja.wikipedia.org/wiki/LUNA_SEA

2015/08/27

これが、“PEOPLE'S TALKSHOW” だ!(2)-インターネット時代のインディーとは?-

写真:西恵里

:今ってインターネットで、音楽の発表が出来る時代じゃないですか。その時代でのインディースピリットとは?

:僕もそのことを考えてたんですよ。難しいけど、なんだろな、もともとで言 うと、人間の話もしちゃいますよ。もともとはさ、誰だって独立独歩というか、 家族、親っていう繋がりはあってもさ、基本的には独立したものじゃないですか、人間自体が。だけど、音楽ってのはちょっと前まで、何年前だろ、20年前とかでも、インターネットでも気軽に発表出来なかったから、基本的には、どこかのレーベルと契約して出してもらうってことをしてもらわないと、世に発表することすら出来なかったわけじゃん。それが今ってもう、5分くらいでアップ作業をすれば発表 出来るから本当の意味で全インディーになっているというか。 

V:そうですね。インディーと言えども、出すためにYOSHIKIはここまで努力しましたからね。 

:今、インスタグラムなんかでフォロワー数が多い人とかってある意味アーティストっぽくなっちゃいますよね。 

b:ある意味、だから雑誌の読者モデルみたいなもんですからね。総インディーと言えなくもない感じになってますからね。インターネットのおかげで。 

:その時代ってのは、皆さん的には居心地は良いですか? 音楽家として。 

b:聴く方として色んなものがあるのは面白いですね。本当に打ち上げ花火みたいな、企画ものが沢山ですけど。やっぱりその瞬間瞬間は面白いから、それはテクノロジーが無かったら生まれてないものだから、それは面白い。 

V:どっちもありますよね。簡単に出せなかった人達の表現が、簡単に聴けるようになった面白さはあるんですけど。 

植:やっぱりそれがあってこそご自身たちもパワーを発揮できるといった感覚なんですか? 

:ただ、やっぱり、僕とビデオくんとベーパナ君の世代は、インターネット・ ネイティブ世代ではないというか。基本的に中間というか。10歳くらい下の世代の人達だったら、物心ついた高校生くらいから音楽を作り出したってときにそういう発表仕方があったと思うんですけど、僕たちは最初はそれがない世代で、徐々に大人というか若者というか、その間で出来出している世代なので、 なんだろうなー、今言った質問でいうと難しいというか。例えば、ベーパナ君とかはちょこちょこ曲とかアップしているけど、自分もインターネットにDJミックスとかアップしたりしたこともあるんですけど、なんだろな、基本的には一応CDを出すのがベースだったりする世代なので。 

V:データだけじゃなくて、物としてちゃんとパッケージされたものをね、ちゃんと選んで買う楽しみも知ってるから。 それにギリギリ愛着がある世代だから。 

:僕もそうですね。 

:だからなんか、それも本当に先入観の話だと思うんですけど。自分はずっと音楽の仕事してて、例えば自分のアルバムだったり、ほかの人のリミックスをさせてもらったりとか、何10枚とか、100枚くらいいろんなCDとかレコードを出させてもらってるんですけど、なんか、やっぱり、形になった時点で作ったなという気持ちになるというか。それはまあ、世代の先入観だと思うんですけど、ほんとは別に音楽を聴いてもらうってことのなかでは、インターネットにアップして音声データで聴いてもらうでも、空気の振動としては一緒なんですけど、 どうしてもやっぱりパッケージングで出来たときの達成感や喜びはある世代なんですよね。

V: たとえば50年近く前とかの古いレコードを面白がって聴いている自分の気持ちを考えると、データだけで出しちゃうと、もしかしたらたとえばこの先50年後に、こういう楽しみ方は出来ないのかなとか思ったり。もしかしたらインターネットの中に存在しているデータをレア・グルーブとして発掘する楽しみっていうのが、新しく生まれるのかもしれないですけど。 

:そう、僕も必ずしもネットで聴くのを悪く言いたいわけでもなく。ネットでも聴くし、レコードでも聴きますし。 

:あのね、SoundCloud(※7)の話は僕もちょうど考えたんですよ。全インディーの時代になったということを。それで思ったのが、ビデオ君が言ったように僕も同じことを思って、基本的には、それはなんかきれいごとなのかもしれないけど、そのクオリティーの良し悪しは別として、色んな年代、色んな地域、色んな考えの人の小さな声、それこそインディー・レーベルでさえ掬えなかったような色んな声が聴こえるっていうプラットフォームが出来たのは素晴らしいことだと思うんです。だけど、現状の、まあ例えばSoundCloudでもいいですけど、なんらかの形でデータでインターネットで音楽を配信している人達が結局、人それぞれの声を発しているのかというと、逆になんかこう、均一化してくるというか、そうなりがちな印象があるというか。あと、なんだろうなあ、より流行っているジャンルだったり、みんなに聴いてもらえるようなことをしがちっていうか。それももちろん、端から端までは聴けないから、自分の印象論だったり、自分の知ってる範囲なんですけど、なんかそんな気はしちゃいますよね。 

b:まさに僕が、やけさんと繋がったきっかけも、ネットのやりとりだったんですけど、後悔していることとして、そういうSoundCloudが始まる直前くらいに、もう引退しちゃいましたけどあるJ POPのシンガーソングライターの曲を、その当時ですね、アメリカでボルチモア・ブレイクス(※8)っていうブレイクビーツのジャンルが流行っていたんですけど、そのマッシュアップを作ったんですよ。 「恋しちゃったー」って曲なんですけど、それを掛け合わせたのを作ったらものすごい反響があって。当たり前なんですよね。

や:それ何年だっけ? 

b: 2007年の3月ですね。 

:そうするとSoundCloudは、まだないけど、徐々にインターネットでそうやって音声データを気軽に発表することが出来だした時代ですよね。アップロード・サイトですかね。 

b:そうですね。で、結局海外のメディアにものっかったし、4,000ダウンロードくらいいったんですよね。だけど、全然楽しくなかったっていう。だから結局流行りものに乗っちゃって。それが好きだったら良かったんですけどね。 

:そういう後悔もあるんだ。 

b:全然ありますよ。 

:やりたいことをやらなきゃ意味がないってことですね。そういう意味では若かりし頃のベーパナ君がそういう気付きを得られたことは、勉強というかすごい良かったですよね?

b:だからこそ結構距離は置いてますよね。どんどん新しいジャンルが出てくるんですけど。ちょっと一聴すると、やっぱり面白いんですよね。だけどそれは結局、打ち上げ花火っぽいというか。パッと聴いて一秒で面白いっていうのが、 ネットの特性として、ネットに上がってて流行っている音楽にはありますね。 

:それはありますね。普通にポップスだったりクラブミュージックも曲の長さは短くなっているし、ポップス自体もネットだけじゃなくて全部が一聴で耳を惹くようなものになっているよね。 

V:どちらが悪いとは言えないですけど。やっぱりネットで聴くのは一曲単位でみんな判断する。音楽は多様性として3分でわかる曲もあれば、1時間聴かないとわかんない曲もあるのがいいから。 

b:作る側も出来上がってリリースまでの時間ってのもあって、買う側も見付けて、買って、ジャケを眺めてっていう時間もある。

:わかるよ。僕もそう思うんだけど、さっき言ったように一つの時代の先入観ってのも当然あると思うし、レコードもSP盤の時はジャケットが無かったし、更に言うと、100年ちょい前までは、レコードが無いから音楽っていうのもライブ演奏しか無かったわけだし、やっぱり時代ごとに変わっていくのはしょうがないし、テクノロジーの進歩のなかで。 

V:逆にラジオの時代は今のインターネットに近いんじゃないんですか? 

:そうかもしれないね。3分間ポップスとか、いかに耳を引くかって。僕もどっちかって言うと、派手な音が密集した音楽ってのはぜんぜん好きじゃなくて、今でも基本的にレコードで買って、ジャケット眺めて針落とすのが一番好きだし、それに一番お金使ってるっていうか、買ってるんだけど......、進歩の歴史を踏まえても、一度進んだものは戻らないっていうか、一度やっぱりリスナーの耳が濃縮されたものに進んでしまったら、針は戻らないんだろうなあとも、現実的にはなんとなく思うというか。 

V:もちろんそうですね。ただ、昔のことが良かったって言ってやり続けても、それは伝わらないから。

:いま、若かりし頃のYOSHIKIさんがいたら違うやり方で・・・

V:もしかしたらインターネットを駆使してYOUTUBEにPVあげて何千何万回再生とかそういう話かもしれないし。 

:そこで金持ってる人に見付けてもらって、のし上がってくんだってストーリーを描くかもしれないですよね。 

:逆に気になるね。85年のYOSHIKIさんが今の時代だったらどんなYOUTUBEのPVを作ったのかとか。相当気合い入ったさあ、死にものぐるいでビュー数とれるようなPV作ったんじゃない? わざわざ資料に載せたんだけど、エクスタシー・ レコーズの『オルガスム』っていう最初の7インチのキャッチコピーが「このスピードに着いて来れるか!?」ってのと「はっきり言ってこのEPは爆発的に売れ てます!」っていう。これめっちゃカマシですよ! ファースト7インチ、しかも 売れてますってプレスする前に帯作るわけでしょ。これを言い切るのとかってすごいなあと思ってやっぱり。でも言い切る強さって言うか。 

b:成功したいっていう。 

:っていうかもう、成功するし! みたいな感じじゃないですか。

:皆さんは、誰かしらに見付けてもらってリリースをするというか、CDを出すっていう大きなポイントがあったんですか? あそこが自分が周知されるきっか けだったみたいな。それとも自分でのし上がったんですか?

:それは、またここの中でも歳もちょっと違うんであれなんですけど、そこも間の世代というか。基本的に僕はデモテープとか送ったこととかないんですよ。 自分でミックスCDを作ったり、そういうのが普通だったっていうか。自分で作るのが普通な上で、まあ、たまたま知り合った人との相性だったり、自分がやりたいこととのバランスの中で、良ければ他人とやったりしてますし、今もやってますっていうだけで、どっちかっていうとなんか、それが世代論なのか自分の考えなのか自分の好みなのか、よく分からないですけど、多分最初からあんまりあてにしてないっていうか、どっかの誰かを。 

V:僕は全く売れる気はゼロでしたもん、作ってるときは。ほんとに趣味的にただ作りたいものを作って、売る気もなかったですねぜんぜん。 

:じゃあ売らないでどうするつもりだったの?

V:ひたすら作り続けて、でもまあなんか記念みたいな感じで。 

:ああ、なるほどね。ライフワークというか。 

V:最初はまあ、高円寺に円盤(※9)というお店があって、これもインディペンデントを語る上で重要な店なんですけど、インディペンデントなCDだったり、本とか色々扱っていて、あくまで本人が持ってきたものしか置かないっていうスタンスのお店なんですね。僕もずっと趣味的に作ってたんで、売れるとも思ってないし、売ろうとも思ってなかったんですけど、でもまあ、せっかくなので円盤に委託をお願いしてみようと思って。で、置いたことで、まあちょっと色々広がって、やけさんに出会い、『7泊8日』ってアルバムをちゃんとした流通の形で出すに至ったんですけどね。 

:そうですよね。そういうところがありますよね。だから音楽は音楽で一緒だけど、現状、リリースするってことによって宣伝含めて他人に知ってもらえる機会がやっぱり増えるから、それ自体が、やっぱり意味があるってとこがあるよね。 

V:『7泊8日』も最初はCDRで作って焼いて一部のお店だけに置くつもりでいたんですけど、やけさんにちゃんと流通した方がいいよって言われ、流通会社を紹介してもらい、それでちゃんとリリースに至ったって感じですかね。

b:結構僕はやけさんのこと知り合う前から一方的に知ってる時期もあったんですけど、もう作品を発表していて。 

:だから、それはね、僕とベーパナ君とは微妙に歳の差があるから。 

b:やけさんの作品制作のとっかかりはなんだったんですか?

:えーと、LOS APSON?(※10)って店がありまして、その店のキャッチコピーが最高で、自分のラップの歌詞にも引用したんだけど「広大なイマジネーションの海にダイブ」っていうやつで、つまり、なんだろうね、オルタナティブっていうかインディーっていうか、LOS APSON?自体もメキシコのプロレスとかモチーフだったり、“辺境”っていうのかな、一般的な音楽雑誌とかの文脈で取り上げられないような地域のものだったり、年代のものだったり、音楽性のものとか、まあ、変なものだけを置いてるってわけではないんですけど、そういうすごく変わったお店が20年くらい前からあるんですけど、ビデオ君が円盤にだけ置いてもらったのに近い感じで、僕は高校生のときに自分でカセットテープに自分の曲を入れてLOS APSON?に置いたりしてましたね。 

V:売れるっていうか、友達が欲しいって感じでしたね。置くことで気の合うような音楽をやってる人がこれを拾ってくれてとか。僕、10代の時とかもバンドやってたんですけど、そこまで気の合う音楽をやってるひとが少なくて。だからまあ、そうやって置くことでちょっと近い趣味の人が引っかかってくれて、友達探しだったのかもしれないですね。 

:ベーパナ君はそういうのどうなんですか? 自分のそういうのをどっかのお店に置いたりとか、自分の作った音楽を最初に世に発表したのって規模の大小は別として、いつのどんな感じなの? 

b:自分のものは......、思い出せないですけど。 

:え〜、こんだけ人に聞いといて!

b:世に出したって意味では自分の作品ではなくってですね、ネットの話にも繋がるんですけど、ネットって昔はけっこう面白いMP3のサイトが一つの場所に集まってなかったんですよね。もうほんとに自分で探すしかなくて、で、見付けたら見付けたで、自分でそんなにたくさんDJやる機会もなかったんで、勝手にMP3のコンピをCDRで焼いて作って、それをやけさんのパーティーで勝手に配ってたっていう。 

:それがファースト・リリース(笑)? 自分の曲でもないし、やばいね!

b:やばいですよ。でも、それも結構ビデオ君と同じでやっぱりその友達探しですね。まあ、自分の曲も作ってたんですけど、多分ビデオ君よりももっとモチ ベーションが低くて、もっと趣味的ですね。で、周りのちょっと音楽好きな友達にちょっと聴かし合うぐらいの感じだったっていう。で、どっちかっていうと、それよりも、もっと面白いものを見付けたなって思って、そういうMP3のコンピを作って勝手に配布してっていうところからちょっとDJやる機会が増えたり、全く知らない人とのコミュニケーションが増えていった感じです。 

:よかったね! 音楽は人を救うね。 

b:スペシャル・サンクスMP3って感じですよ、ほんと。


(※7)
「Sound Cloud」 ドイツのベルリンに拠点を置くSoundCloud Limitedが運営する音声ファイル共有サービス。2007年8月設立。自作曲を投稿し、コメントやダウンロードも出来 る。約40万人の登録ユーザー、約2億人のリスナーが利用している(2013年7月 時点)https://ja.wikipedia.org/wiki/SoundCloud

(※8)
「ボルチモア・ブレイクス」 アメリカ、ボルティモアで生まれたゲットー・ダンスミュージック。俗称「B-more」。海外では、「ボルティモア・クラブ・ミュージック」と表記することが多い。日本語のサイトではこちらのブログがもっともやさしく、詳しいのではと思う。http://kyokoist.blogspot.jp/2009/10/blog-post_30.html

(※9)
「円盤」 円盤は特定の営業形態を持たない“喫茶店”であり“CD ショップ”であり“イベント スペース”である特殊空間として毎日営業しております。円盤限定のオリジナル商品を中心に、自主制作盤、中古レコード、中古 CD、古本、Tシャツ、グッズなども扱っております。そして一番の特徴は、全ての商品が「作った人が自分で納品してくれたもの」しか置いていないということです。(HPより)東京高円寺にて田口史人氏が運営。田口氏が定期的に行う行商、レコード文化の四方山話を披露する「出張円盤・レコード寄席」を7月に当店でも開催した。http://enban.web.fc2.com/

(※10)
「LOS APSON?」 ヤマベケイジ氏の運営する東京幡ヶ谷にあるレコード&CD&あれこれショップ。毎年初夏に恵比寿リキッド・ルームで開催する「Tシャツ祭り」もおなじみ。2015年9月に高円寺に移転予定。http://www.losapson.net/

2015/08/26

これが、“PEOPLE'S TALKSHOW” だ!(3)-90年代、出版界でのインディーズとは?-

写真:西恵里

:はい、後半ですね。もうちょっとおしゃべりしようと思うんですが、ここから今更ですが、スペシャル・ゲストがいらっしゃいますのでご紹介します。北沢夏音さんです。 

北沢夏音(以下北):ライターの北沢夏音といいます。〈PEOPLE BOOKSTORE〉では、『Get back,SUB! あるリトル・マガジンの魂』という僕の著作にまつわる展示を去年の秋に開催していただいたり、ご縁がありまして、今日は見に来ただけだったんですけど、急遽ひっぱり出されたのでちょこっと参加させていただきます。 

:なぜ引っぱり出したのかと言いますとね、もちろんライターだということや、色々物事に対する理解が深いってことも当然あるんですが、インディーということで言うとですね、僕なんかも世代というか、読んだり買ったりしてた んですけど、北沢さんが離れてからも同じ名前でずっと続いている 『Bar-f-Out!』という雑誌がありまして、それをインディーで北沢さんは当時立ち上げたわけで、ぜひ今日のテーマでなんか面白く教えてもらったり、しゃべってもらったりできるんじゃないかと思って呼ばせてもらいました。『Bar-f-Out!』って雑誌を北沢さんが作ったのは何年で、何年までやられてたんですか?

:まず、92年の夏に創刊準備号、0号を出したんですよね。で、1号を出したのが93年の春。それから何年まで在籍していたかというと、初期のように密接には関わっていないグラデーション期間があるので微妙ですけど、リニュー アルした97年には完全に脱退してます。 

V:ここにはないんですかね? 北沢さんが関わっていたやつとか。 

―あります! と、植田が0号を取りに行く―

:実は『Bar-f-Out!』について語ったり、書いたりすることは、長年封印してたんです。 

:訊かれたら答えるんですか? 

:個人的に訊かれたら、創刊前夜のこととか、ちょっとぐらいは答えたりしましたけど、基本的には一切答えてません。 

:じゃあ、北沢さんの中では思うことがあるってことですかね? 

:まあ、ありますよね。 

:当たり障りの無いというか大丈夫な範囲でお願いします。 

:自力で雑誌を創刊したいという、やむにやまれぬ気持ちは当時確かにあって。僕の個人の話になっちゃうけど、新卒で入った出版社で、自分にとって当たり前の価値観が全然通用しないという巨大な壁にぶち当たったんですね。 

:それは雑誌作りの面でってことですか? 

:うーん、それはもちろんだけど、他にもいろんな局面で納得できないことがたくさんあった。貴重な経験もたくさんさせてもらって、それは感謝してるけど、生意気盛りの若造にとってはどうにも我慢できないことが多くて、完全にアンチ・メジャーみたいな気分になって......メジャーの中にいたんで余計にパンクな衝動が湧き起こってしまったという。その頃、90年から91年にかけて、 街のクラブやライヴハウスでいろんな出会いがあったんです。桑原茂一さんが 主宰するクラブキング発行の『ディクショナリー』っていうフリーペーパーで 渋谷のチーマーを取材して、ちょっと変わったスタイルのルポを書いたり、サブ・カルチャーに興味がある若者なら大抵読んでいた『宝島』っていう雑誌でフリッパーズ・ギター(※11)の連載の構成をやったり、他の雑誌でも彼らの連載や取材に携わってたこともあって、新世代のバンドを取り上げるとき声がかかるようになって、気がつくとライター稼業に片足を突っ込んでいました。当時、時代は変わりつつあったんだけど、全体的には、音楽業界も出版業界とたいして変わらないっていうか、なんかいつのまにか出来上がったルールみたいなものがあって、そういうのがやっぱりすごくつまんないと思ったし、現行の音楽雑誌とか見ても全然面白くなくて。そんなときに出会ったフリッパーズ・ギターは、反抗心を共有できる同志だと思えたんです。それまでにも、YMO、RCサクセション、サザン・オールスターズ、山下達郎、佐野元春、ザ・ブルーハーツ等々、ショッキングな存在が現われて、日本のポップ・ミュージックに革命が起きる瞬間をリアルタイムで目撃してきたんですけど、小山田(圭吾)くんや小沢(健二)くんは、そのいずれとも違うニュータイプに見えた。僕だってまだ20代だったけど、ふたりは20歳そこそこだったから、怖い者知らずで、業界のルールみたいなものも全く意に介してないし、メジャーデビューしたのにプロのミュージシャンとしてやっていこうとさえ思っていない。彼らと身近に接しているうちに、自分もそういう意識で雑誌を作りたくなったのかな。今やらないでいつやるんだ!? っていう気持ちで、街で知り合った仲間と3人で自主制作したのが『Bar-f-Out!』だったんですよね。......個人的な動機を非常にざっくりまとめるとそんな感じです。

:これが創刊準備号ですか? 僕も初めて見ましたよこれは。10インチサイズ。 

:そうですね、こういうのは全部意識的にやったことで。 

:だってこれ、めちゃめちゃとっぽいですよ、つくりとか。で、ここに至るまでの道筋はすごく詳しくわかったんで、この『Bar-f-Out!』を作るときに、具体的にどういうことをどういう風にしたかったんですかね? 当時の北沢青年は。 

:なんて言うのかな、例えばインタビューってありますよね。そういうのも、あえてミーティングって言い方をしてたんですよ。 

:ニュアンスはわかりますよ。インタビューではない、会合だと。 

:アーティスト様にお話を伺う的なことじゃ全然なくてね。 

V:対等に、一緒に。 

:そう。ひとりの人間として、思いを伝えに行くっていうのかな。要するに、本音で誠実に語り合おう、ってことなんです。そういう雑誌が日本に無いなあと、ずっと思ってたんですよね。で、会いに行きたいと思うからには、なんらかの価値観が共有できるのではないかと思っているわけで、今では想像しづらいかもしれないけど、広告をいただくから取材しましょう、新譜のプロモーションです、っていう発想は全くなかったんです。この0号のメインのミーティングはポール・ウェラー(※12)なんですね。僕は世代的にも個人的にも、ザ・ジャム、 ザ・クラッシュ、デキシーズ・ミッドナイト・ ランナーズみたいな、パンク/ポスト・パンクのなかでも熱い人たちに思いっきり影響を受けているんですよ。 ポール・ウェラーは82年にザ・ジャムを人気絶頂で解散した後、83年にザ・スタイル・カウンシルっていう次のグループを結成して、自由奔放な活動を始めるんです。そのとき彼は24歳で、十分若いのに、さらに下の世代の才能を募って「レスポンド」っていう新しいレーベルを立ち上げた。モータウンの“The Sound of Young America”っていう有名なスローガンがあるんですけど、ウェラーはそれの英国版を作ろうという構想のもとに、“KEEPS ON BURNING”って いうメッセージを全てのレコードのジャケットやラベルに刻んだり、ザ・カプチーノ・キッドっていう謎めいたキャラクターの文章をライナー・ノーツの代わりに載せたり、モダニストとしての自身の価値観をすごくカッコよく表現していて、僕はウェラーのやることなすこと全てにグッと来て、夢中で追いかけてたんです。惜しむらくは道半ばで挫折して、結局ザ・スタイル・カウンシル もレスポンドも解散しちゃうんだけど、そういう姿勢にめちゃめちゃ影響を受けたので、彼らの志を受け継ぎたい! っていう気持ちを込めて、0号はクレジットの入れ方まで彼らに倣って作ったんですよね。形から入っているんだけど、スピリットも入ってますっていう。おこがましいけど、そんな思いだけで始めました。 

:ぼく、この0号を最初に読んだときに、内容とか、まあ、ポール・ウェラーに会ってるってこともすごいんですけど、雑誌全体からすごいもう、やりたいことをやってるっつうか、やりたいからやってるんだっていうスピリッツが感じられて。 

:もう、それしかないですね。 

:まさしく。僕が思うインディー・スピリッツというか。 

:「インディペンデント」って、経済的な自立という意味も踏まえたら、誰にとっても永遠のテーマですよね。『Bar-f-Out!』はおそらく90年代の東京で初めてDTP(※13)を導入したインディーズ・マガジンのひとつだと思いますけど、時代の恩恵に恵まれたというか、それによって経費がかなり圧縮できて、インディペンデントでもなんとか続けていける体制が整ったんです。0号はほとんどレコードショップにしか卸してなくて、それは他に販路がなかったから。つまり、日本の出版界というのは、取次というところに口座を持っていないと普通の本屋さん、つまり新刊書店には配本されないんです。だから直接取引が出来るところ以外では置いてもらえない。やっぱり実績がないとなかなか難しいんだけど、渋谷の大盛堂書店さんに飛び込みで営業したとき、応対してくれたベテランの女性がパッと見て「とりあえず20部ちょうだい」って、 即決してくれたのは本当に感動しました。でも、それは大盛堂書店さんがチェーン店ではなくて、独立系の書店で、バイヤーがその場で判断できたから扱ってもらえたんですね。普通の大手チェーン店だと現場にあまり権限がないから、そういうことはできない。だからメインの販路はレコード屋さんだったんです。 WAVE 、HMV、TOWERとかで、最初に刷った5000部があっという間に売り切れて増刷するという、予想以上に大きな反響があったんですね。時と場所を正しく得て、歓迎されたのかなって思えて、翌93年の春に季刊誌としてスタートできたんです。 

b:DTP、いわゆるアドビの製品は結構インパクトがデカかったんですか? その独立してやるってときに。 

:そうですね。だから、デザイナーや編集者にとっては本当に革命で。それまでは写植代とか、いろんな経費がかかってたのが一気に軽減されて、デザイナーの手間は増えたけど、その代わり制作費は紙代と印刷代、基本的にはそれだけで済むようになったというか。

V:CDと一緒ですねそこは。 

:ええ。そういう意味では、90年代ってメディアの転換期で、DTPの後にインターネットっていう一番強力な革命が起きて、その激震は未だに続いてるんですけどね。ただ本当に、インディペンデントで何かをやるときに、コンピューターっていうのは確かにすごく助けになりましたね。


(※11)
「フリッパーズ・ギター」 小山田圭吾(Vo,Gu)と小沢健二(Gu,Vo)がメンバーのバンド。1989 年に「フリッパーズ・ギター」として1stアルバム『THREE CHEERS FOR OUR SIDE~海へ行くつもりじゃなかった~』でデビュー。1990 年に 2nd アルバム『CAMERATALK』をリリース。1991年に3rd アルバム『ヘッド博士の世界塔』をリリース後、突然の解散。現在は、それぞれソロ活動をしているhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%83%AA%E3%83%83%E3%83%91%E3%83%BC%E3%82%BA%E3%83%BB%E3%82%AE%E3%82%BF%E3%83%BC

(※12)
「ポール・ウェラー」 ポール・ウェラー(PaulWeller)は、1958年生まれのイギリスのミュージシャン。1977年にバンド「The Jam」のボーカリスト、ギタリストとしてデビュー。 1982年に「The Jam」を電撃解散した後に「The Style Council」を結成。1990年に解散した後、ソロを中心に活動中。とは、wikipediaより。それはあくまで参考として、本文中で北沢夏音さんが語ってくれている、ウェラーの姿勢を刻んでほしい。https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9D%E3%83%BC%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%82%A6%E3%82%A7%E3%83%A9%E3%83%BC

(※13)
「DTP」 DTP(Desktop publishing、デスクトップパブリッシング)とは、日本語で卓上出版を意味し、書籍新聞などの編集に際して行う割り付けなどの作業をパーソナルコンピュータ上で行い、プリンターで出力を行うこと。https://ja.wikipedia.org/wiki/DTP

これが、“PEOPLE'S TALKSHOW” だ!(4)-自分に合ったやり方を見つける、ということ-


:僕あのね、話したいというか、聞いときたかったことがあるんですよ。ビデオ君は直接の面識がある、すごくインディーを象徴するミュージシャンであり、料理人ですかね。面白い方がいるっていう。その人の話も聞かせてもらいたいなあと思ったんですけど。 

V:今回、インディーってことで真っ先に思い浮かんだ倉林哲也(※14)さんという方がいて、その人がインディペンデントを考える上で僕が身近な人でかなり影響を受けた人なんですよね。具体的に彼が何者かと言いますとね、ミュージシャンであり、料理人。ホライズン山下宅配便というバンドでドラムを叩いている方なんですけど、ドラム以外にも自身のソロ名義で音楽も作ったり。もともと飲食店をやっていた方なのですが、あるときから店舗ではなく自宅の居間を使って飲食店を始めたんですよ。 

:画期的な発想ですね。けっこう。ライブハウス俺んちみたいな。

V: 三鷹にある古い一軒家に住んでいて、その一階で自分の飲食店を始めたんですね。普段家の二階に人が住んでて、一階の居間を使った完全予約制の飲食店、虎茶屋っていう。 

:それって、なんだろう、僕は行ったことないから分かんないけど、どれくらいお店っぽくて、どれくらい家っぽいんですか? どんな感じなんですかね?

V:普通の家なんですよ。もちろん看板もなくて。予約制なので、普段は家なんです。もう、行く人は住所を頼りにそのお店というか家に行って、ピンポン鳴らして、予約していた○○ですって行くと、居間に上げられて。メニューも無いんですね。完全にコース料理のみ。

:値段だけあってコース料理のみ! 

V:だいたいお酒とか飲むと5000円くらいなのかな1人。4000円とかでコースがおまかせで。 

:まず、和食ですか? 料理の感じとしては。 

V:中華と和食の混ざった感じです。 

:それも、創作料理というか?

V:そうですね。食材もこだわっていて、今これを食べてもらいたいというものがはっきりしているんでしょうね。すごい敷居は高いですよね。看板も無ければ、どこにも広告も出さない。 

:食べたいものも選べない。 

V:でも、料理は本当においしいし、場所もとても魅力的、来た人はまた絶対に来たくなるし、常に予約はいっぱいなんですよ。 

:いいですね。原始的なお店の成り立ちっていうかね。あの人は料理が上手いから、料理を作ってもらうと、ありがとうの気持ちとしてお金を払うとか、そういうもう一度お店ってシステムが一歩手前に戻ってるみたいな感じの。 

V:そうですねー、自分で管理できる範囲で全部責任を持っているんだと思います。 

:そういう感じはすごくわかる。インディーっていうか、出来る範囲。逆に言うとそれだけ出来る範囲を延ばさなきゃならないんだけど...。基本は基本なんだよね。出来る範囲で頑張るってことは。 

V: で、音楽もやっていて、音楽もやっぱり自宅で録音したものを円盤とかに置いたりして。歌詞が素晴らしいんですよ。「器」って曲なんかはひたすら器のことを歌っている。器への思いで一曲書けるってやっぱり料理人ならではだなと思って。 

:歌ってそれで良いんですよね。 

V:そういうインディペンデントっていうか、なにが正しいというのではなく、彼は自分に合ったやり方を見つけたらこうなったって感じですよね。そうやっていろんな選択肢がある中で、自分にとってベストなものを選んだ結果、家で完全予約制のお店をやるっていうのが一番責任をもってやれる形だってことで。 

:あと、例えば、そういうスタイルの料理店っていうのがほかにあるのかないのかわからないですけど、例えばインディーと言っても、それがまた一つのスタイルになっちゃうとか、そういうこともあるし。それが本当にこの方は多分、発想が、別にお店ってないとダメなんですかね? みたいなところから始まっていて。そういう視点というか行動は、素晴らしいですよね。歴史が積み上がれば、こうじゃないといけないみたいなことばっかりになってくるでしょ。 

V:もしかしたら、家の居間でもいいんじゃないのかなみたいな。ある程度それを疑って。 

:僕たちも本当は自問自答というか、音楽だったり、人となにかすることも当たり前にやってるけど、そうじゃなきゃいけないのかみたいなことを、気付かないうちにやってることもいっぱいあるかもしれない。それはもう、音楽も生活も、全ての色々なこともそうかもしれないし、そういう気付きというかね、そういう意味でも素晴らしいですよね。そういう発想と行動ってのは。 

V:だからすごい考え方というか、色んな選択肢があるなあということを教えてくれた感じで感銘を受けましたね。 

:行こうと思ったらどうやって予約すればいいんですか?

V:一応ホームページはあるので。そこから予約できるはずです。でも夏は毎年お休みになっちゃいますが、もし良かったら行くとすごく面白いと思います。 

:はい、ありがとうございます。それでですね、更にもうちょっと最後までに聞いておきたいことがあったんですけど、ベーパナ君さ、ちょっと前にオーストラリアに1年くらい住んでたじゃん。でさ、僕とかさ、日本のことしかわかんないしさ、そういうオーストラリアとか、外国のインディーカルチャーとかどんな感じですか? 

b:僕が使ったワーキング・ホリデーのビザって1年間何をしても良いんですよ。 働けるし。ほかの人はオーストラリアを1周したりするんですけど、僕はひとつの都市に住んで、生活者として、そういうカルチャーを見つけたいと思ったんです。結論から言うと、やっぱり基本的には変わりはないというか。FOX&SUI(※15)っていう人たちがすごく性にあって良かったですね。活動も、レコード屋さんでCDRを自分たちで販売して、ライブやってってのを繰り返しているって感じではありますよね。で、一つ違うこととしては、オーストラリアは時差がイギリスともアメリカともあって英語圏の僻地というデメリットがある。そこをイギリスのDJ、たとえばジャイルス・ ピーターソン(※16)なんかが、BBCのラジオでインディーのものでもフックアップしてかけてあげる。そうすると、世界に広がっていくという流れがちゃんとある。有名な人がいて、発見して、世界に広めてくって流れは、インディーの中にもあるような感じはしましたね。 

:そういう広がりみたいなのはやっぱり英語圏っていうので、日本と違うところはあるの?

b:あるっていうのは感じたし、それもやっぱりラジオ・カルチャーっていうか。 ラジオがすごく浸透していて、FOX&SUIのANDRAS FOXは、自分でも番組を持っているんですよね。そのローカルラジオのDJをずっとやっていて、そのRRRってラジオ局自体は閉ざされたアンダーグラウンドな放送局ではなくて、街を歩いているとみんな聴いてるような感じで、コミュニティ・ラジオみたいなものが文化としてちゃんと成立していて、ちょっと変なことをやってる人も番組を持てて、みたいな感じなので。そういうところも、日本と違うような気がします。 昔でいう渋谷FMとか、そういうものが成立しているので。 

V:発信していくものもある?

b:あるような気がしました。もう一組、Hiatus Kaiyote(※17)ってバンドがメルボルンにいてですね、彼らも同じ地元に住んでいて。そのバンドは成功という言い方はあれですけど、上手く広がった例として、やっぱり自分たちが最初地元でバンドをやって、それをラジオのDJ、多分ジャイルス・ピーターソンなんかが見付けて流して、それが世界中にちょっと知れ渡って、クラウド・ファウンディングでアメリカに行きたいからって資金を集めたら結構ものすごい額集まって、それでアメリカツアーをやって、エリカ・バドゥとかのネオ・ソウルって呼ばれる人達とも仲良くなって、最終的にグラミー賞にノミネートされるっていう。広がり方のツールとしてラジオがきっかけになって世界に広がっていってっていうのはなんかあるんじゃないかな、と。今、彼らはメジャーなんですよね。クラウド・ファウンディングでお金を集めてアメリカに行けても、やれないことがあるからメジャーを選んだと。彼らが言っていたのは、条件として今までと同じことを自分たちでやらせてくれる環境っていうので合意がとれたから、ソニーと契約をした。その結果、アフリカとかにもツアーに行けるようになったと。

V:メジャーだからと言って不自由なわけではなく、選択肢が広がる可能性ってのもその例をみるとあるわけだ。お金があるからこその選択肢ってのもあるし。 

:今だったらメジャー・レーベルから出しているようなグループやバンドはそういう意志に基づいてメジャーの人達と一緒にやるパターンってのが多いよね。 逆に、自分たちでやるところから始まって、出来ること出来ないことがわかった上で、色んな人と一緒にやろうとか。資本を使って違う新しいことをやろう とか、そういう意志で、そういうパターン多いですよね。 

b:その人達のインタビューで言ってたんですけど、音楽ファンは結構アンチ・メジャーみたいな発想になりがちだけど、なんだかんだでメジャーがアンチとされてる部分を変えてかないとやっていけないというような感じになっているので、アルバムのリリース・ツアーの繰り返しじゃない、自分たちのやりたいことを自分たちの地元のメルボルンでやらせてくれるのを条件にしたっていうようなことを言っていたので、メジャーっていうのもなにか仕組みが変わっているんじゃないかと思いました。 

:もちろんメジャーっていっても、商業的なものだったり、もっと直接的に芸能界寄りのものもあったりしますけれども、時代も変わっていると。 

:それって日本だと実現し得ない状況なんですかね? 

:ラジオの場合は、根本的な放送法的なカルチャーが違いますよね。アメリカってカレッジ・ラジオが元々盛んというか。あと車文化だから、ラジオを聴く人が多いと思いますね。日本は放送法がガチガチで、コミュニティFMみたいな 区の中だけ届くみたいな電波の広さしか許可されないとか。放送法に違反する と、ものすごい重罪なんですよね。 

b:一方でイギリスとかはBBCでDJミックスをずっと流し続ける番組があるんですけど、それが元々は、実は海賊ラジオだったんですよね。要は、海賊的行為をメジャーというか国営放送が潰すんじゃなくて、取り入れることで、お互いが良い結果になったという流れがあるんです。 

:イギリスにもそういうパイレーツ・ラジオ・カルチャーってあるらしいよね。 ピーター・バラカンさんとかは、やっぱりそういう海賊ラジオが面白いから、 ずっとそういうラジオでロックを学んだと何かでおっしゃってました。イギリスの「セカンド・サマー・オブ・ラブ」(※18)と呼ばれるレイブ・ミュージックの時も違法ラジオとかが重要な役割を果たして、DJが当時のかっこいい最新のダンスミュージック、テクノだったりをかけて、若い人達はみんなそれを聴いて情報を得ていたらしいですし。そんな海賊ラジオ・カルチャーってのがあるみたいですよね。日本の僕らの価値観では、あまり実感としてわからないけど。 

:イギリスのBBC Radio 1っていう国営放送で、今はもうお亡くなりになった ジョン・ピールっていう有名なDJ が自分の番組を持っててね、そこではインディーズのレコードがすごくかかったんですよ。イギリスはステーションの数も少ないから、そこでかかるっていうのはインディーズのバンドにとっては、広く知られるきっかけになる。この人のセンスはすごく良かったのでね、いろんなインディーのバンドのいい曲がいっぱいかかったんですよ。で、日本でそういうのがないのかっていったら、ある時期NHK-FMで「サウンドストリート」(※19) って番組がありまして、佐野元春さんが月曜日にレギュラーを持っていた。80年代の半ばくらいかなあ。第三週を日本のインディーズ特集に当てていて、当時インディーズの音源って、明らかにメジャーの音と比べて、ちょっとショボかったんですよ。センスとは全く別の話でね。プレイするのに音圧とかが弱くて。音質の補強をわざわざして、結構かっこよく聴かせてくれたんですよ。ただ、その番組が終わっちゃうと、インディーズの音源が全国放送でかかる機会も無くなっちゃって、ジョン・ピールみたいにずっと番組をもってる人がいたら、日本の音楽状況も少しは違ってたのかもしれないけど。 

:ある程度のリスナーと、ジョン・ピールさんみたいな立ち位置の人がいて、ですけどその両方が必要なものとして、認知されていたらってことですよね。 

:それくらいジョン・ピールの支持が強いから、多分、やめさせたら大変な苦情がきちゃうくらい人気があると思うんですよ。伝統もあるし。あ、でも、今だと例えばDOMMUNE(※20)っていうストリーミング放送局がありますけど、宇川直宏さんがやってる。彼は日本著作権協会に権利の許諾を全部とって、なにをかけてもちゃんとお金払いますからってとこまでクリアしてやってるので、それぐらいの用意周到さがあれば、今はネット・ラジオとか色々ありますけど、結構公にちゃんとジョン・ピール的なことも出来るんじゃないかってところまでは来ています。 

:今、話を聞いて思ったのが、海賊ラジオカルチャーやカレッジ・ラジオ・カルチャーの感じが実感としてわかんなかったですが、やっと近年のUstreamのそれこそDOMMUNEとかああいう立ち位置に近いのかもしれないですね。 

:なかなか普通にはラジオ・ステーションとかでかかんないじゃないですか。 特に最近は。DJの選曲権が脅かされちゃって、営業品目をかけなきゃいけないみたいなことになってる番組も多いから。だけど、DOMMUNEを始めとするUstream だと、そういうのはない代わりに権利の許諾をとってないと日本著作権協会から訴えられちゃったりするから、そういう難しさはあると思う。全くの海賊放送に出来ない。 

b:結構有名な本らしいんですけど『海賊のジレンマ』(※21)って本がありまして、 インディーというテーマともやや被る内容ですけど。グレーな行為をしていて、 グレーな行為をされてる側が、いつか受け入れることをやりながら文化ってのが・・・。 

:まさに海賊ラジオの話を間に置くと、ちょうど繋がる話ですよね。インディーズ・カルチャーと。もうちょっと詳しく教えてください。 

b:海賊行為を、海賊行為をされた側がまあ、受け入れていくっていう。で、海賊行為を罰するのか、受け入れるのかっていうジレンマの話ですよね。 

:取り込むってこと?

b:そうですね。そこのせめぎ合いのジレンマってものが・・・、それは訴えるよりも取り込んだ方がいいんだよ、ということが書かれています。 

:文化的に豊かになるね、単純に考えてもね。 

b:ただまあ、前例がないことだから罰するという流れがあるんだけど、受け入れないと。

:なにも育たないって感じですよね。排除していったら。 

b:でも、放送の法律が厳しかったり。 

:日本のラジオ・カルチャーはまさにそういうことだったのかもしれないね。 では、ぼちぼち終盤に近づいてもいいのかなと思いますけど、植田さん、インディーってことで......、インディーじゃなくてもいいですよもう! なんか言っときたいこととかありますか?  

:今日、聞いてくれてる皆様の日々の生活にフィードバックするきっかけを与えられたのであればいいのかなと思っております。 

:あんまりこういうことを直接的に言うのとかも、毛嫌いされたり、めんどくさかったり、はしたないとこもあるんですけど、もうインディーというか、そういうこととか、このお店のこととかで色々話を進めていって、まあ、それこそもう、チェーン店のことであったり、資本主義社会とか、そういうこともね、基本的には全部暗喩として結び付いている話であり、そういうつもりなんですけどね。自分のやり方で自分のことをするとか、ちゃんとものを選ぶとか。行動の当たり前とされていることだけど、違うこともあるのかもしれない とか。そういう一つひとつによって生活が磨かれたり、自分にとって気持ちの良い生活、さらに自分だけでなくて、みんなにとって気持ちの良いことになることもあるんじゃないかなってのは・・・っていうヒントはあるんじゃないかなってのは基本的に今日話したことの暗喩ではあるんですけど。 

:さっきのD.I.Y.の起源じゃないですけど、こういうところでお店をやるっていうのは、自分で作らなければ何も始まらないっていう状況があるからやれてるところがあるんですよね、おそらく。で、他人に楽しませてもらおうじゃなくて、自分から楽しもうよ、と。

:熱いですね、すばらしい! 

:そうですね、それだけですね。僕が基本的に言いたいのは。ブーブー文句垂れるなら自分で面白いものつくってやっちまおうよ、と。で、怒られたら、その時は謝って。まあ、異文化衝突ですよ。ここでもありました。 

:異文化衝突っていうか、上の住民の人から苦情が来たっていう話じゃないですかこれ(笑)!

:まあ、まあ、そうです。反省するのは簡単です。良くなかったなあとは思っているんですけど......なので、まあ、楽しんでいきましょう!

:はい、そうですね! インディーというテーマで、このお店でトーク・イベントがしたいなあってことが、このお店の理念に合ってて、そういうテーマがいい んじゃないかって思って始めたんですけど、まあ、インディーのことをみんなで話したところで、インディーなんだからどうという答えというか、分かりやすい着地が見えるものではないってことは最初からわかっていたので、えーぼんやり、ただみんなで、考えたり話したりしているって感じですけどね。 

b:そうですね、ぼんやりとツイッターとかのタイムラインを見ているだけでもインディーという言葉がいっぱい出てくるんですが、インディーって言葉を表面的じゃなくて精神的な部分でちゃんと活動している人達を支持したいなと、そういう人達と仲良くなりたいなと、改めて思いました。


(※14)
「倉林哲也」 虎茶屋店主にしてチェロやフルート、ギターなども演奏する音楽家。ホライズン山下宅急便ではドラムを担当。(虎茶屋のブログはこちら。http://torachaya.exblog.jp

(※15)
「FOX&SUI」 オーストラリアのメルボルンを拠点に活動するAndras FoxとSui Zhenによる男女エレクトロ・デュオ。2010年にロンドンで開催されたレッドブル・ミュージ ック・アカデミーでの出会いをきっかけに音楽制作をスタート。Andras Foxのトラック・メイクとSuiのヴォーカルで成り立つ彼らの演奏が楽しめる、この動画を是非ご覧頂きたい。https://soundcloud.com/foxandsui

(※16)
「ジャイルス・ピーターソン」 ジャイルス・ピーターソン(Gilles Peterson)はロンドン出身のディスク・ジョッキーにしてレコード・レーベル「Talkin’LOUD」「Brownswood Recordings」のオーナー。最近ではキューバ出身の女性シンガー、ダイメ・アロセナの音源リリースが印象に残る。https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B8%E3%83%A3%E3%82%A4%E3%83%AB%E3%82%B9%E3%83%BB%E3%83%94%E3%83%BC%E3%82%BF%E3%83%BC%E3%82%BD%E3%83%B3

(※17
「Hiatus Kaiyote」 オーストラリアのメルボルンで 2011年に結成されたネオ・ソウルバンド。beipanaさんが自身のtumblerで語る、地元・メルボルンでの彼らの在り方に胸を打たれる。名文なので、是非ご一読を。「Hiatus Kaiyoteを地元で見る最大の価値は、ファミリーというかコミュニティのメンバーが勢揃いした構成でのライブを楽しめることだと思う。この日はメンバー4人に加え、コーラスが三人、管楽器隊も他に数人いた。ステージ前方でワイワイしていたのも友達なんだと思う」。http://tmblr.co/Z1N9by1A5moud

(※18
「セカンド・サマー・オブ・ラブ」 セカンド・サマー・オブ・ラブ(The Second Summer Of Love)は80年代後半に イギリスで起きたダンス・ミュージックのムーブメント。60年代後半のヒッピ ー・ムーブメント「サマー・オブ・ラブ」に由来する。アシッド・ハウスを中 心にジャンルを越えてプレイする自由なDJスタイルが特徴で、各地で大規模なレイブが開催された。https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%BB%E3%82%AB%E3%83%B3%E3%83%89%E3%83%BB%E3%82%B5%E3%83%9E%E3%83%BC%E3%83%BB%E3%82%AA%E3%83%96%E3%83%BB%E3%83%A9%E3%83%96

(※19
「サウンドストリート」 1978年11月23日から87年3月20日までNHK-FMで放送された音楽番組。松任谷正隆、 佐野元春、坂本龍一、森永博志、松浦雅也、甲斐よしひろ、烏丸せつこ、川村恭子、渋谷陽一、山下達郎、大沢誉志幸、平山雄一らがディスクジョッキーを 務めた。北沢夏音さんは、なかでも森永博志氏の語り口に大きな影響を受けたとのこと(ここで少し試聴可能)。https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B5%E3%82%A6%E3%83%B3%E3%83%89%E3%82%B9%E3%83%88%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%83%88

(※20
「DOMMUNE」 アーティストの宇川直宏が 2010 年 3 月 1 日に DIY で開局した、日本初のライブ ストリーミングスタジオ兼チャンネル。「ライブストリーミング」とは、PC や スマートフォンなどで、映像と音声からなる「生配信」を楽しむことができる、 インターネット上の TV 番組。番組は月曜~木曜日にかけて平日毎日配信され、 国内外の様々なゲストを迎え開催される 19 時から21 時のトーク・プログラム と、世界各国のDJやミュージシャンが演奏する21時から24時のミュージック・ プログラム(BROADJ)の 2 部で構成されていて、日本だけでなく、世界でも圧倒的な人気とビューワー(視聴者)数を誇っている。http://www.dommune.com/about/

(※21
「海賊のジレンマ」 『海賊のジレンマ──ユースカルチャーがいかにして新しい資本主義を つくったか』(マット・メイソン著、玉川千絵子・八田真行・鈴木沓子・鳴戸 麻子訳、扶桑社、2012 年 7 月発行)

2015/08/25

これが、“PEOPLE'S TALKSHOW” だ!(5)-自分なりの基準を持とうじゃないか!-

ー質疑応答ー 

:じゃあ、質疑応答コーナーです。聞きたいことのある方!

客1:筑波大生です。今日はありがとうございました。あまりトーク・イベントとか行ったことが無かったんで、フラっと来てみたら良かったです。ちょっと質問なんですけど、みなさんインディーでやられていて、どこまで発信の枠っていうのを考えてらっしゃるのか、さっき海外の話とかも出たんですけど、自分がどこまで広げるっていうか、広げることを目指しているのか、それとも枠の意識ってどういう感じにみなさん考えているのかな? みたいなことを聞けたらと思います。 

:パッと思いついたことから言って良いですか。まず、枠で国内、海外っていうと、日本が英語圏じゃないっていうところもあるので、自分のDJだったり興味はあるんですけど、現実の想定としてはあんまりやっぱり外国は考えれてないというか、まあ、チャレンジ出来てないってことは現実的に、枠の意味ではそうですね。で、一応理念ってことで言うと、楽しく続けていくのが一番だと思いつつ、仕事なので生活していけないのは困るんです。やっぱり作ったら作ったものとして多くの人に聴いてもらいたいなあって気持ちは当然あるんです が、順番としては、最初がそれっていうのは個人的には無いんですけど、まあ、 楽しく、作りつつ、それをどこまで広く届けるか、それで届けるための途中経過としてあんまり自分が嫌な気持ちになることはやだなあというか無理のない範囲でっていうのは甘いんでしょうけど、そういう意味では楽しく続けてくのを第一として広げられるだけ広げたらいいという感じで僕は思っております。 

V:僕もそうです。特にどういう範囲にむけて作るかというのは作る段階ではできるだけ考えず、出来上がったものに対して、これはどのような形で発表するのがその作品にとってベストかってことを考えて発表方法を選んだりって感じですよね。これはたくさんの人に聴かせたいと思ったら、ちゃんと流通を通したり多くの人に聴いてもらえるための方法を考えるし、別にそういう風にたくさんの人に聴かせようと思って作ってる訳ではない場合や、これはもっとプライベートなものだなと思ったらプライベートに扱うし、知り合いの店にだけしか置かないとか、そういう感じですね、僕は。 

b:ほぼ同じですね、スミマセン。だからこそ、それで予期せぬ出会いとかはあったら、受け入れるか受け入れないか判断しながら進んでいく、みたいな感じですね。 

:今回はインディーってテーマにしたし、自分は一応、もう結構大人なんで、 頭で考えたこととして、インディー的なもの作りをしている人のことは好きだなって意識はあるんですけど、自分のやってる音楽や活動がインディーなのかって言われたら、そういう意識は別にないっていうか。普通にただやってるだけっていうか、別になんかYUKIさんとかそういうメジャーのリミックスの仕事とかもしてるし、あんまり自分の行動として、これはインディーかインディーじゃないかとか、そんなことをその都度考えてないですけどね。基本的にはね。 あとビデオ君が言っていたことで僕が思ったのは、数の論理というか、広がるってこととか、例えば他の企業とかでも一緒かもしれないけど、数が大きいってこととかをすごい大事なこととして、第一前提にするってことに対する恐怖心や抵抗感がやっぱりすごくあるんだよね。物事の一番のゴール地点や大切なことをそこに設定すると、どうしても絶対に抜け落ちるものや、なんか危ないんじゃないかって皮膚感覚があります。 

:そのことで言うとね、なにかものを作って世に問う人だけじゃなくて、それを受け取る側や、それに対してリアクションを返す側にとってもすごく重要なことなんだけど、例えばツイッターのフォロワーの数で(その人の力を)判断しちゃうみたいな話がありましたけども、ネット社会になって、いろんなもの、 例えば売上とかが一個単位で明るみにされちゃうような時代になって、そうすると本当に数字だけが物差しにされちゃう時代に今はなってると思うんですよね。で、それに振り回されて、作り手も一喜一憂するみたいになっちゃって、 まさにやけ君が言ったような状況に今あると思うんですよ。だけど、自分の基準さえあれば、それは審美眼といってもいいんだけど、気まぐれな世間に迎合しないでいられるはずなんです。自分が好きだなと感じるものが、いくつか共通するなにかで繋がってることがあるじゃないですか。同じ人がプロデュースしていたり、同じミュージシャンが参加していたり。そういう時に、自分の好みってものがだんだん見えてきたら、それをさらに追究してみるってことが大事なんですよ。それはお皿でも時計でもなんでもいいんです。そのうち自分の中でなにかしらの独自の基準というものが出来てくるので、それがちゃんとあれば売上の数とかフォロワーの数とか、そんなものにあんまり左右されなくなってくるんですよ。自分の基準を持つことが、これからの時代で一番重要なことかなと。ジム・オルーク(※22さんっていうミュージシャンの『シンプル・ソングズ』っていうニューアルバムが出て、いくつかのインタビューに答えているなかで、彼はこう言ってるんです。今は基準のない世界になってしまった。そしてエンドゲームが始まっていると。そのエンドゲームってどういうことかというと、チェスの用語で「終局」、つまり最終局面。資本主義のエンドゲーム に差し掛かっていると。で、彼がもう一つ言ったことは、自分というものが誰かの「鏡」としてしか認められない、なにをやっていても誰かに見られているというか、他人の承認がないと、自分が存在しないかのような気持ちにさせられちゃう。で、もうそれは「戦い」であると。なんで戦わなきゃいけないのか。 今まではオルタナティヴってものがあったけど、今そういうものが見付けられ なくなっちゃって、争いたくないから別の道を探したのに、なにもかもが戦いみたいになっちゃった。ジムさんはそういう風に慨嘆していた。なぜ基準を持たないのかって、ジムさんが言うわけですよ。最初は他人の基準を自分の基準にするところから始まるかもしれないけど、それを追究していくことによって だんだん磨かれて自分の基準になっていくから。それは読書でもなんでもいいんですよ、ほんとに。生活態度でもなんでもいいから。 それを、みんな一人一人好きなようにやっていこうよ、と。確かにこう資本主義のエンドゲームがどれくらい続くかわかんないんだけど、もうすぐジ・エンドだと思うとみんな元気無くなっちゃうじゃないですか。だからやっぱり元気を得るためにも、自分の基準を持つことで、多分、インディビジュアルになれるはずなんですよ。だったら、別に会社員でもインディペンデントな生き方は出来るんじゃないのかっていう。強引にまとめると、そういう感じですね。 

:もちろんです。それはそう思います。さっきもベーパナ君が言ってたように、用語やジャンルとしてのインディーよりもマインドとしての独立独歩の気持ちがあれば別に会社員だろうがなんだろうが。だって逆に音楽の話で言うと、インディー・レーベルなのに○○が流行っているから○○やりましょうとかみんなで企画して、何十匹目かのドジョウ狙ってるような。インディー・レーベル のくせに。そんなんどこでもいっぱいありますからね。結局そういうインディー/メジャーとか表面的なもの、記号で判断してもなにも意味はないので。 

:90年代、いや、80年代の頃からありましたよ。そういうのは「腐れインディー」って呼んでました。まあ、だから腐れインディーは己のスタンダードが無いわけです。 

:世界を測る物差しっていうと大げさですけど、それを結局、他所から借りてきたメジャーで測るしかないとみんな思っちゃっているんですよ。すぐに自分の物差しは獲得出来るわけじゃないけど、継続していくなかで、自ずとだんだん伸びてくる物差しみたいなものがあって、気付けばいろんなことを自分の目で測れるようになってきて、面白いものを見付けられたり、人と出会えたりするのかな、なんて思っています。

:音楽に関していうと、インディーとメジャーの違いって、メジャーだとケース・バイ・ケースだと思うんですけど、何年契約でアルバム何枚とかね。そうすると発売日が設定されて、それまでに絶対出さなきゃいけない。で、それに関わる人とか、それで食べてる人がいっぱいいるから、そういうプレッシャー がすごいんだろうなと思うんですよ。インディーズの良いところは、レーベルの人がアーティストに対して、そんなにきついプレッシャーかけないように見守っていてくれたりする。メジャーでやってるアーティストはやっぱりそうい うプレッシャーのなかで戦ってて、そういう状況でも良いものを作っている人 っていうのは確かに常人じゃない、超人的な能力があると思います。だけど、納期があって、それに向けて、大変だけど、働いている人がたくさんいらっしゃると思うので、そういう時にどこまで自分の基準を守れるかっていうことは、個人個人のやり方によると思うんですけど、出来るだけその基準は守った方がいいかと思います。 

:一応最後の質疑応答です。なにか気になることとか、言いたいことがある方がいたら挙手をお願いします。 

客2:今日はすごく楽しかったです。ありがとうございました。ちょっと正直どうまとめていいのかわからないですが、自分でも音楽を作っていて、 それをネットに上げたりしても、全然聴かれないというか。インディペンデントってテーマで今日一番最初に思い付いたのが、インターネットで発表するってことだったんですよね。それで今の現状、玉石混淆感がすごいというか。この状況についてなにか語ってもらえればなというか、これについてどう考えているのかなあ、みたいな感じがちょっと気になっていたので......。 

:つまり、もっと聴かれるにはどうしたらいいか、みたいなところも、本当は教えてほしい感じですか? 

客2:それはありますけど、正直、ちょっと自分のなかでブレてしまってどうしたらいいものかと。 

:SoundCloudとかインターネットの話はさっき結構いろいろさせてもらったので、そういうことに関しては、さっき言った通りって感じなんですけど。例えば、いっぱい聴いてもらうってことで...、ごめんなさい、これが偉そうな立場からの発言に聞こえたら申し訳ないんですけど、一応多分年上だと思うんで、 そういう言い方じゃないと話が進まないので...、僕が思うには、例えば、 SoundCloudが今みんなやってることだったら、逆に違うことをするとか。僕だったらそう考えるかなあとか思いますけどね。なんていうか、みんながやっていることじゃない...、ズルですけど、みんながやっていることじゃないことをする方が目立つというか。まあ、SoundCloudの中でもアプローチとか何かしら とっかかりとして違う見せ方をするってのはありなんじゃないかなあ。 

b:でも結局ネットにアップするってのはやり方の一つというか。 

:やり方の一つだし、今、みんなが一番やることだから。 

b:だからやっぱり、人にこういう場所でとにかく全員に配るとか。僕がやってたことはそうですね。 

:でも競技人口の話ってのは知り合いのMC.sirafu(※23さんっていう東京のミュージシャンがいて、色々なバンドをやっている人なんですけど、sirafuさんはトランペット、スティールパン、ターンテーブル、シンセサイザー、とかマルチ奏者なんですけど。それでsirafuさんと話している時に、僕は競技人口が少ない楽器しかやんないですよって言ってて。だからやっぱりSoundCloudって10億分の1かわかんないけど、すごい数から単純に、ズルだけど150分の1くらいになるジャンルを目指すとか。 

b:でも常に結構みんな意識している感じですよね。それが好きだからって言って、じゃあ、それが本当に好きだったらそれで満足してアップして作ってってことをやるけど、届けたいって意志があったら、ちょっと言い方が変ですけど、 戦略っていうか、やっぱり、ちょっと隙間をぬわないと難しいかな。 

V:ほんとに今日言った話に通じますけど、やっぱ、色んな選択肢を考えてみるっていうのは絶対に良いと思うんですよね。発表の方法にしろ。SoundCloudだけではなく。 

:ラジカセでずっと流しながら歩くってのは(笑)? 通勤とかのときずっと自分の音楽を鳴らしてるとか。ちょっと勇気いりますけどね。 

:例えば勇気の度合い......、弾き語りとかってネットにアップするより遥かに勇気いるじゃないですか。けど、ネットより広がるかっていうとそうでもな い。 けど、ある一人には伝わるのかも、とか色んなことを思いますけどね......。 

V:僕も円盤ってお店に、ただ一人の店主に直接持って行って聴いてもらったことで、お店に置かれて広がったんで。 

b:なんかトイレットペーパーも出してなかった?

V:出しましたね。トイレットペーパー型の、型に入っている Tシャツと CDRのセット。

:それはある種、戦略って言葉は嫌いだけど、一個のアイデアだよね。だから まあ、物販としてさ、T シャツとかみんな作るけど、トイレットペーパーにCDが入っているとかだと、これも言い方が雑だけど、目を引くというか。ということで、なんか偉そうな物言いに聞こえたらすみません。とりあえず、僕たちが思うのはそういうことです。別の方法を模索するのがおすすめなんじゃないかっていう。はい、というわけで最後までこんなお喋りに付き合っていただきありがとうございました!

(ありがとうございました!)

(※22
「ジム・オルーク」 1969年アメリカ生まれ、東京在住のミュージシャン。作曲家やプロデューサー、 エンジニアも務め、彼の手掛ける音楽はアヴァンギャルド・ジャズやノイズ・ミュージック、ポストロック、映画音楽など多岐に渡る。現在は様々なミュージシャンとセッションに加え、カフカ鼾、石橋英子ともう死んだ人たち、前野健太とソープランダーズなどのプロジェクトに参加。2015年5月にアルバム 『Simple Songs』をリリース。https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B8%E3%83%A0%E3%83%BB%E3%82%AA%E3%83%AB%E3%83%BC%E3%82%AF_(%E3%83%9F%E3%83%A5%E3%83%BC%E3%82%B8%E3%82%B7%E3%83%A3%E3%83%B3)

(※23
「MC.sirafu」 「片想い」「ザ・なつやすみバンド」「うつくしきひかり」の3つのバンドを 軸に「cero」や「oonoyuuki」など様々なバンドやプロジェクトに参加している ミュージシャン。スティールパンやトランペットを中心に様々な楽器を演奏す るプレイヤーでもある。2015 年 8 月 11 日に、今回のトークショーにも出演した VIDEOTAPEMUSIC 氏も参加している 4 人組ラップグループ「チークタイム温度」 のメンバーとして 7 インチ『7DAYS / 真っ青に染まれ』をリリース。「レーベルというより、漠然とした“集団”」と自身が表する「とんちれこーど」の主宰メンバー。http://ototoy.jp/feature/index.php/20120818