2014/05/30

祭りって、なんだい




“祭りが好きだ、と言う人たちは多い。私もその一人だが、けっこうなことだと思う。踊る阿呆に見る阿呆、どっちだっていいじゃないか。いいものは、いいんだ。好きなものは、大好きなんだから、理屈や由緒(いわれ、と読んどくれ)は、どうでもいいさ。そりゃあ知ってるほうが、感じ方がずーっと深いだろうし、そんなこと常識だもんな。でも、このごろは常識様が多すぎて、ちんまり、むっくりになりすぎた。もう一度、祭りを根底から見直してほしい。ほんとはね、祭りは見るもんじゃないよ。その町の、その村の、その人たちの、深い祈りの儀式なんよ。” 

祭りって、なんだい。これは素晴らしい文章だ。
書き手の唾が飛んできそうな、焚火を囲んだ酒の場のようなテンションで語られる、祭りのこと。
欲望と信仰心、燃えて燃えて燃えるような生への執着心、さまざまな炎が入り交じって花火となる、それが祭り。
ときに穏やかに、ときに狂ったように。人びとが日常から昇華する、聖なる儀式。そういう祭りに出会ってみたい。
この本のページをめくりながら、ボクはそんなことを考えている。そして、ドキドキしている。

“祭り曼荼羅とは何か、私は建築家としてそれを考えてみた。情報化社会が、人間をサイボーグ化しようとしている。情報の処理、伝達手段を地球から宇宙にまで拡大し、人間の知覚し得ない世界まで機械装置が記号におきかえてしまった。”

本書、『祭り曼荼羅』は西川驍氏が日本中を歩き、写真におさめ、声をあつめた、お祭り読本。
西川氏自身が「ぐっと迫って、ガチガチ激写」したという粒子の荒いモノクロ写真の力強さ、カラー写真の生々しさをご体験頂きたい。
そして人びとの生活と祈り、信仰心が静かにかたく、結びついていた時代に思いを馳せてみてほしい。スピリチュアルは身近にあった、と気づけるような気がするから。もちろんボクも信仰心や祈りからほど遠いところにいる。全く関係ない生活を送っている、と言っても過言ではない。それでもなぜか、いま、現代の管理、画一を迫る社会の力に対抗しうるのは祭りの力なのではないかという気がしているのだ。

いま必要なのは、踊ること、歌うこと。
いや違う。言い換えよう。こんな状況でも、踊ってしまい、歌ってしまうこと。その熱に思いっきり浮かされてしまうこと。
それぞれが好きなように、自分のリズムで、調子はずれな音頭を取るのだ。そこから始まることが沢山ある。きっとそれは間違いない。
“フェス”という言葉で置き換え切れない、祭りの力。いまこそそれを学ぶ時機なんじゃなかろうか。

西川氏と同じ建築家、坂口恭平氏が踊りまくる『坂口恭平のぼうけん①』。
元祖・激写の篠山紀信氏が踊りまくり撮りまくる『オレレ・オララ』との併読もオススメ。

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